闘病記

 気がつけばもうはや11月。みっともなくも、「ここだけの話」がずいぶん長く開店休業状態だった。言い訳がある。

 この夏、ひと月ほど入院した。病名は左肩腱板断裂。腱板とは肩甲骨と上腕骨をつなぐ棘上筋(きょくじょうきん)、棘下筋、肩甲下筋、小円筋という4つの筋肉からなる構造体で、これが損傷、つまり切れてしまったわけである。主な原因には転倒や強打などの外傷の他、肩の使いすぎや老化があり、年寄りで古本屋の私は後者にぴったり当てはまる。実は3年ほど前に右肩の大断裂をやっていて、このときは二ヶ月近くも入院した。今回は部分断裂で入院生活はひと月あまりで済んだが、右に続いて左も断裂していると聞いたときには、さすがにへこんだ。執刀医は、内視鏡でボルトを埋め込み糸で筋肉をつなぐ、という驚異的な技術を持つ名医で、右も左も跡形もなくきれいに治してもらったから、むろん不平不満などあろうはずもないのだけれど、リハビリ入院の長いのが何ともつらかった。術後もっとも気をつけないといけないのが再断裂なので、安易に日常生活に戻して無茶をされたらたまったものではないという強い懸念が、長期の入院リハビリを推奨する理由であるらしい。かくして、我々腱板断裂組は、ペットボトルのキャップをひねって再断裂した人もいますよ、などとリハビリ担当の理学療法士に脅されながら、完全看護下でリハビリに励むことになる。

 3年前、執刀医は大阪の病院におられたのだがその後移籍され、今回はそれを追いかけて京都の病院でお世話になった。もっとも、病院は京都の西の外れにあって窓からお寺の五重塔が見えるわけでもなく、ちょうど35日を数えた入院期間中一歩も外に出なかったので、「ああ、京都にいるなぁ」という感じはしなかった。そうなると、なにしろ肩以外は元気である。手術から一週間も経つと、時間をもてあます。テレビもあるが、ニュース以外は存外見ない。入院直前に華々しく開幕したパリオリンピックも、甲子園の熱闘も、そういえばやってたんだ、程度の関心しか生まれない。用事と言えば、三度の食事、1日1回約1時間程度のリハビリと、看護師さんが来てやってくれる体温や血圧の測定くらい。ベッドに座りっぱなしだと歩けなくなるかも知れないという不安から、院内の長い廊下を歩いて10周するのを、午前1回午後1回自らに課したこと以外、ほかにすることがない。そこで、前回も今回も、本を読んで凌いだ。今回は25、6冊ほどを読了した。およそ三日で2冊程度のペースである。一時に持ち込むと重いし場所をとるので、前もって5、6冊の本の山を幾つか作っておき、1週間に1度様子を見に来てくれるパートナーに頼んで、読み終わった本の回収と入れ替えをしてもらう、という、前回入院時にあみだした方式を今回も採用した。

 これほどじっくり本を読む時間をとるのは、日常生活ではむつかしい。入院生活のささやかな「得」である。今回特に印象に残ったのは、マークース・ズーサック『本泥棒』とローラン・ビネ『HHhH―プラハ、1942年』の2作品。意図したわけではないが、両者とも奇しくも第2次世界大戦時のドイツを舞台にした作品で、戦時の濃密な空気感を見事に描き出していて深い読後感を得た。また別の機会に詳しく紹介したい。


 病院というところは、あまり大きな変化がおこることもなく、平和で、どこか物憂く、時間の流れ方が実に単調である。だから、ほんの些細なことでも「事件」になる。例えば食事。朝食にはふだんあたためた食パンが2枚でるのだが、日曜の朝だけこれが菓子パンになる。楽しみになって、つい心待ちにする。入院中に台風が来て物流が止まり、菓子パンが中止になったときは、とてもがっかりした。ある日の昼食では握り拳ほどもある大きなロールケーキが出て、ものすごく嬉しかった。また、斜め向かいのベッドの患者さんは様子を見に来たご家族に、黄色いタオルや水色のボールペンなど実に細々としたものを持ってくるよう指示していて、頗る感心した。外来で来院して診察の結果即入院となった隣のベッドの若者は、その夜不安に苛まれたのかしくしく泣いていて胸が締め付けられた。廊下の端の病室の高齢者の方は、元気に外出して転倒し、ストレッチャーに乗って帰院された。このときは病院中が心配した。

 相手を煩わせることがないよう互いに無意識のうちに気を遣っているせいか、同室でも患者の間で言葉を交わす場面はあまりなかった。けれども長くいるとなんとなく病気と闘っている同志のごとき感覚が生まれ、それを支えてくれている看護師や病院スタッフを含めて、目に見えないゆるい連帯感のようなものができてくる。8月15日、京都五山の送り火の日。病院の位置をスマホのマップで確かめて、ひょっとしたら北東の方向に左大文字が見えるのではないかと見当をつけていた。夜勤の看護師さんに確かめると、「スタッフに聞いておきます」。午後8時から大文字、妙法、船形、左大文字、鳥居形と5分おきに次々に点火される。病室はちょうど北東側なので窓から見えるはずだが、私の病室は隣のビルに遮られて見えない。仕方がないので廊下の突き当たりの窓に陣取った。8時15分。夜の闇に送り火がともった。「見えましたね」。振り返ると、件の看護師さんを含めた病院スタッフや患者さんが数人、私の肩越しに窓の外を眺めていた。残念ながら角度が悪く、ぼんやりした光の点にしか見えない。「廊下の真ん中あたりの病室だったら、窓からよく見えるんですけどね」と言うと、スタッフの一人が「あ、あそこの部屋は今患者さんがひとりもいらっしゃらないから入れますよ」。私たちはその方に案内され、明かりを消した病室の窓辺に並んで、みんなで左大文字をゆっくり鑑賞した。小さかったけれど、くっきりした「大」の字が確認できた。

 半月余り後の9月4日、私は無事退院した。


ヴィスナー文庫

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