父は喫茶店に行ってたばこを片手に珈琲を飲みながら新聞を読む、というのが大好きで、近所の店に毎日通っていた。ひとりで過ごすのを至福としていたきらいがあり、あまり誰かがついてくるのを好まなかったが、私が幼い頃は(まだ小学校にあがる前だった)、子守も兼ねていたのだろう、たまに連れて行ってくれることがあった。父が美味しそうに飲む得体の知れない飲み物が不思議で、いちど私も珈琲をねだったことがある。父は、自分はフルーツポンチを頼んで面白そうに私を観察していたが、私がひとくち飲んで顔をしかめると、「換えことしようか」。これが私の珈琲の原体験である。以前に本欄で紹介したように、本に導いてくれたのも父だった(「本の思い出1 読書事始め」2023.10.16)。本のお供に珈琲が良いのか、珈琲のお供に本が良いのか、いずれにせよ珈琲と本は相性が良いらしく、長ずるに及んで、本好き、珈琲好きになった。
わたしが学生の頃、本は今ほど高額ではなく、特に文庫本は庶民価格で、古本ともなるとたばこ一箱よりも安く(ハイライトが80円の頃の話)、貧乏学生でも気兼ねなく買えた。毎日が日曜日のような生活をしていた学生時分、下宿にエアコンはなかったので、汗まみれで目が覚めると朝とも昼ともつかぬ簡単な食事を済ませて古本屋に直行し、文庫本を一冊買ってエアコンの効いた喫茶店に潜り込み、一杯の珈琲で半日粘って暑さをしのいだ。
こういうお店の利用の仕方は、通常はマナー違反で、叱られるのがおちだ。だが近年は、まさにそういう過ごし方を推奨するブックカフェなるものがあちこちにできていて、それぞれに工夫をこらした魅力的な空間を提供している。
リタイア後は本に囲まれた生活がしたいと思って図書館司書の資格を取り、シェア型古書店の草分けみつばち古書部で一箱借りたのをきっかけに、小さいながら自分の古本のお店を持つことになった。多くの方々のご支援の賜物ではあるものの、我ながら上出来と密かに自賛しながら、正直にいうと、頭の隅には、本といえば珈琲、という思いが消しがたくあった。世間で評判のブックカフェのようなおしゃれな空間は無理としても、古書店を訪ねてくる本好きのお客さまのために自ら珈琲を淹れ、その香りに包まれて心ゆくまで本の話ができるような場所を設けられたら、などと、常識的に考えればまず実現は難しい夢を見ていたのである。
その夢が、叶った。それにはむろん、古書店オープンのときとは比ぶべくもないほど多くの人たちのご支援とご協力があったのだが、何より大きかったのは、私にとってこの世で唯一最大最高の理解者、長年連れ添ったパートナーの粘り強い後押しだった。
このたび、古書店ヴィスナー文庫のある松虫長屋2Fの奥の間に、ヴィスナーカフェをオープンしました。お飲み物を片手に、ゆっくり本を選んでもらえる、静かな空間です。今後は簡単な軽食や、週末金曜日には限定で夜ご飯の提供もできればと考えています。お時間がありましたら、ぜひご利用下さい。
0コメント