松虫の自宅の前は、小学校の頃はまだ舗装もされず空き地が広がっていて、よく忍者ごっこに興じたものだった(余談。当時、忍者の活躍を描いたテレビドラマ『隠密剣士』が大ヒット。主人公の秋草新太郎を演じたのは、『月光仮面』の大瀬康一さんだったが、子どもたちは皆、牧冬吉さんが演じた伊賀忍者霧の遁兵衛の大ファンだった)。
一方、それに比べて地下鉄の駅のある昭和町は、辺境の松虫に住む者にとっては大都会だった。幼い頃は縁遠かったが、高校生になると毎日のように出没し、当て所なく徘徊するようになった。とりわけ好んで入り浸ったのは、壁一面のステレオシステムとミラーボールが煌めく幻想的な空間が妖しい音楽喫茶BOSTONだった。放課後ともなると、昭和町交差点の角にあった大崎書店で文庫本を買い込んで、薄いカーテンで仕切られた、深海底のような淡いブルーの光に沈むボックス席に潜り込み、コーヒー一杯で何時間も粘ったものである。
その頃は私も人並みに、自分の存在の不安に煩悶し人生に懊悩する、思春期の真っ只中にいた。読書傾向も一気に偏向する。七十年安保の先鋭的な学生運動が広がり、東大闘争が激化し、三島由紀夫が割腹して果てる中で社会情勢を憂い、高橋和巳『悲の器』、柴田翔『されどわれらが日々』、庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』、石川達三『青春の蹉跌』と手当たり次第に読み漁った。
一方で、ミステリの面白さに嵌ったのもこの頃だった。僅か数行で物語の世界に引き込まれるストーリィテリングに魅了され、時間を忘れて没入した。BOSTONに持ち込んだのも、そうしたエンターテインメントの一冊だった。アガサ・クリスティを最初に読んだせいか私は専ら海外のミステリだった。クローズドサークルの古典的名作『そして誰もいなくなった』や叙述ミステリの傑作『アクロイド殺し』と出会ったときの衝撃は、今も色褪せていない。『オリエント急行殺人事件』では犯人を当てようと、メモをとりながら読んだりした(結果は推して知るべし)。
けれども、もっとも思い出に残る作品をひとつだけあげよと言われれば、エドガー・ライス・バローズのSFファンタジー『火星シリーズ』に指を屈せざるを得ない。地球から火星に飛来したアメリカの元軍人ジョン・カーターが、縦横無尽の活躍の果てに美しい火星の王女デジャー・ソリスと結ばれる、壮大なスペースオペラである。溢れる正義感と超人的な凄腕のヒーロー、高貴で美しいヒロイン、勧善懲悪、手に汗握る展開とハッピーエンドのストーリー。白人至上主義を窺わせる箇所が僅かに散見され、百年前の作品の時代的な限界も垣間見えるものの、掛け値無しに面白い、ヒロイックファンタジーの金字塔である。火星シリーズの世界的な人気を支えたとも言われる武部本一郎画伯の美しい表紙や口絵、挿し絵もまた想像力をかきたてる。第1巻『火星のプリンセス』の表紙に描かれたヒロインの可憐な姿に胸を焦がした、まさに思い出の作品である。
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