本の思い出 2 読書空白期

 中学時代は、あまり本を読んだ記憶がない。私の文学的素養の欠如は、おそらくこの時期に起因する。私の読書空白期間である。にもかかわらず、後々まで私に妙に強い印象を残した作品に出会ったのもこの頃だった。そのひとつが、ファーレイ・モウワット『犬になりたくなかった犬』。犬らしからぬ異才を次々と発揮する雑種の駄犬マットが引き起こす数々の騒動を中心に、北米の豊かな自然やおおらかな人間模様を描き出した、著者の少年時代の物語である。誇り高いマットは優等生的な名犬、忠犬ではまったくなく、どこまでも自分本位。ハシゴを上り下りし、スカンクと戦い、防塵ゴーグルをつけて自転車に乗る……次々と紹介される奇想天外なエピソードのなかでも、近所の犬たちとのいざこざを避けるため、猫にだってできるのだからと練習して、高い塀の幅5センチほどのてっぺんを悠然と歩くシーンは秀逸。読んだ当時は創作だと思い込んでいたが、改めて調べてみると、どうやら著者モウワットの少年時代の思い出を綴った自伝らしい。全編を通じてユーモア溢れるお話の最後にマットとの悲しい別れが描かれていて、ちょっぴり悲しく寂しい読後感は、いまも胸に残っている。ファーレイ・モウワットはカナダの動物学者でナチュラリスト。日本で知る人は少ないが、2014年に亡くなったときには当時のカナダ首相が追悼コメントを寄せたほど地元ではおなじみの人物で、小説作品も幾つか残している。


「ポケット文春」と呼ばれた新書版のレーベル。私が読んだのはこの版である。その後文藝春秋から文庫版が出たが、これも現在絶版になっている。文庫版の挿絵は「アンパンマン」でおなじみの やなせたかし氏。


 もうひとつ紹介しておきたい一冊は、庄野英二『雲の中のにじ』である。1952年、ベイルートからバグダッドへ向かうジープに同乗した三人の男。農業研究目的の日本人農業技術者イネ、画家でバビロニア遺跡発掘調査の取材に来たフランス人青年キャメル、そして発掘現場にジープを届ける任務を負った隻腕のドイツ人発掘調査員キャタビラ。シリア砂漠を疾駆するジープの車内で交わされる、ユーモアとウィットに富んだヒューマニックなやりとりで互いの心を温めながら、イネは七年前のビルマ戦線に思いを馳せ、元ナチス戦車隊軍曹キャタビラは、戦争で失くした右腕の感触を思い出す。そんななか、突然猛烈な砂嵐が起こり、三人はジープを失ってしまう。未だ大戦の記憶も醒めやらぬ折から、戦勝国と敗戦国の初対面の男たちが砂漠に閉じ込められる、というこの物語は、冒険活劇でもサバイバルでもなく、三人の男たちの心の動きを、柔らかい文章で淡々と綴った児童文学なのである。そしてまた同時に、国籍によって個別化された戦争体験を止揚し、人類共通の意識にまで到達させようと試みた戦争文学でもあるのだ。庄野英二は、芥川賞作家庄野潤三の兄で帝塚山学院大学元学長。多くの作品を上梓し、数々の文学賞を受賞した児童文学者である。長く帝塚山に住み、阿倍野との縁も深い。


 二冊とも家にあった誰かの本をたまたま手にとったもので、『雲の中のにじ』は背ラベルが貼ってあった記憶があり、家族の誰かが図書館で借りていたものを横取りして読んだらしい。自ら読みたいと思って読んだ本ではないのに、これほど印象に残っているのも不思議である。おそらくこの頃に読んだ本が、この2冊きりほかになかったせいなのだろう。

ヴィスナー文庫

時間がゆったりと流れる 公園のそばの癒し空間