「読書の秋」である。本好きの私は、べつに気候、天候にかかわらず本は読むのだが、なぜかこの季節は無性に本について誰かと語り合いたくなる。
私が生まれる前、我が家は阿倍野区の昭和町というところにあって、なかなかの豪邸だったらしい。その頃父は心斎橋でテーラーロベリアという洋服店を営み、ロベリア提供のラジオ番組を持つほど羽振りが良かった。二つ上の姉は、幼い頃周りからジョーと呼ばれていて、何で女の子がジョーなのか長らく不思議だった。後年、それが「お嬢様」の意だと知った。お屋敷にあって、実業家の若奥様だった母を支えたしっかり者の「お手伝いさん」(疾うに死語で、今でいうメイドあるいは家政婦が近いか)は、戦中から戦後にかけて活躍した美男力士第43代横綱吉葉山にそっくりだったよ、とよく母から聞かされた。
その後洋服店経営が破綻、父は借金取りから逃げるように阿倍野区の西の端、松虫に移り住んだ。零落してから生まれた私は、僅差で「お坊ちゃま」の地位を逃したのだった。
私が物心ついた頃、父は細々と洋服の行商をして家族を養っていた。合間に父は近所の子どもたちに算盤を教え、母は相愛大学音楽部の女子学生を2階に下宿させたりして小銭を稼いでいたが、家計は火の車だったに違いない。それでも往時に身についた父の奢侈とハイカラ趣味は相変わらずで、臙脂の背広に赤いネクタイ、ソフト帽を斜めに被り、稼いだ日銭で札入れを膨らませて、当時昭和町にあった料亭銀翠辺りで遊んで母を困らせた。
子供の扱いが苦手な父は、それが愛情表現だと思っていたのか、私たちにも色々なものを買い与えた。その中で私たちがもっとも親しんだのが、講談社版『少年少女世界文学全集』だった。小学校の三年生の頃だったと思う。古びた本をいま改めて手に取ると、皮の背表紙、金箔押しの文字にクロス装の表紙という装丁で、監修に小川未明、志賀直哉、翻訳に井伏鱒二、西条八十、村岡花子、伊藤整、江戸川乱歩やドイツ文学者の高橋健二、日本古典の現代語訳に金田一京助、坪田譲治、俳人中村草田男、挿絵に岩崎ちひろ、朝倉摂、原爆の図の丸木俊らそうそうたるメンバーが名を連ねる豪華版だった。初めて触れる本格的な活字の世界に陶酔した幼い私は、むろんそんなことは知るよしもなく、世界各国のあらゆる民話や文学作品を、本がぼろぼろになるのも厭わず、貪るように読んだ。
なかでも一番のお気入りは、美しい血統馬ブラックビューティの波乱の半生を描いたイギリスの作家アンナ・シュウエルの『黒馬物語』だった。何度も何度も繰り返し読んでは、理不尽な馬の酷使に心を痛め、仲間との別れや死に涙し、躍動する黒馬の雄姿に胸を熱くした。この作品の最大の特徴は、主人公の馬から見た世界を、馬自ら一人称で語る、という文学的にも新しい形式をとっている点にあり、その手法は、読み手が自らを主人公に仮託することを容易にした。幼い子どもが主人公に共感し、もの言わぬ動物への人間の愚かな行為に悲憤することができたのも、その手法の故だろう。
過酷な扱いを受けてなお人間を信じる心を失わないブラックビューティの姿が胸を打つ、この児童文学史上不朽の名作と出会わせてくれたのは、少し世間離れのした、夢の中に生きているような父だった。
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