今回の伊豆行きで、初めて訪ねたところがある。佐野美術館である。伊豆箱根鉄道の三島田町駅から歩いて数分のところにある。佐野美術館の創立者は、佐野隆一という地元の実業家で、化学製品製造業で財をなすと、自らを育ててくれた地元への恩返しにと、福祉施設や保育園、学校関連施設、図書館建設などに寄与・貢献した。美術館もそのひとつである。もともと父親が骨董品蒐集が趣味で、佐野自身も刀剣や陶磁器などの古美術品蒐集家として知られていたが、自らの喜寿の記念に美術館をつくり、膨大なコレクションをすべて寄贈した。これが佐野美術館の元である。佐野は美術館建設に際し、戦前、両親のために建てた回遊式日本庭園を有する和風邸宅を、美術館の用地として提供した。のちに邸宅は三島市に寄贈され、隆一の隆の字に三島の湧水を重ねて隆泉苑と名付けられて一般に公開されている。美術館の隣に広がる、湧水池を中心にした庭園がそれである。庭園内には邸宅が現存しており、おそらく佐野の建てたものだと思われる。利用したわけではないので確かなことはわからないが、現在はどうやら「せせらぎ亭」とよばれる料亭になっていて、隆泉苑に隣接する和食レストラン「松韻」の一部施設として機能しているようである。
美術館のコレクションは、刀剣、絵画、彫刻、陶磁器から能面、人形、装身具と幅広く、一部は常設展示で見ることができる。それとは別に、年6回程度テーマ別展覧会を開催していて、私たちが訪ねたときはちょうど雛人形の特別展をやっていた。独特の表情の享保雛や、精巧な作りに息を呑む江戸八丁堀の極小雛、人形がまったくないお道具だけの豪華な雛飾りなど、なかなか見応えがあった。
帰り際、別の展示室で同時開催されていた展示にふと足が止まった。見覚えのある名前が目に飛び込んできたからである。やっていたのは、「墨彩の詩人 近藤浩一路のスケッチ」展。近藤浩一路は東京美術学校(現東京藝大)で同期の藤田嗣治らとともに西洋画を学び、のちに印象派の影響を受けた独自の水墨画様式を確立し、名作「鵜飼六題」を残した画家なのだが、一方で読売新聞の政治漫画や挿絵を担当する漫画記者として活躍した時期があった。漫画記者といえば、東京美術学校同窓で朝日新聞にいた岡本一平(作家岡本かの子の夫で岡本太郎の父)が知られていたが、その岡本と並んで「一平・浩一路時代」と評されたという。
シャーロック・ホームズものなど、古典的な人気を誇る小説にはパスティーシュやパロディ、オマージュなど、二次作品が多く作られる。日本文学では文豪夏目漱石の代表作『吾輩は猫である』がその例である。おもしろいなと思い、いずれお店で特集コーナーを設けようと作品を集め始めたなかに、近藤浩一路の『漫画 吾輩は猫である』があった。漱石没後三~四年頃の作品である。漫画といっても現代のコミックのようなコマ割りではなく、見開きの片側に一点ものの漫画、もう一方にタイトルとオリジナルの文章を添えた体裁のものである。レトロな味わいの絵に原作の雰囲気がよく醸し出されているように感じて一目で気に入り、『漫画 坊ちゃん』と合わせて手に入れた。その頃は近藤浩一路に関する何の知識も持ち合わせていなかった。
展示は、近藤のスケッチや手紙類を特集したもので、そんなこともあって、実に興味深く拝見し、近藤について調べてみようと思い立つきっかけになった。
旅先では思わぬ出会いがある。これもそのひとつなのだろう。来年の春は、またどんな出会いがあるのだろうと、隆泉苑のお庭を散策しながら夢想した。
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