近年、私たちは新幹線で三島に着くと、まず三嶋大社に向かう。
駅前すぐの所には、楽寿園がある。明治維新期の皇族小松宮彰仁親王の別邸として建てられた数寄屋造りの楽寿館を中心に、富士山の雪解け水が湧き出す小浜池や日本庭園を囲んで160種もの樹木がこんもりと茂る森が広がる、市立公園である。伊豆に行き始めた頃はよく訪れたが、近頃は三嶋大社に直行することが多い。理由がある。桜である。
伊豆は河津桜が有名だが、早咲きである。三月末というと、河津桜は疾うに散ってしまっていて間に合わず、かといってソメイヨシノにはまだ早い、桜を愛でるには半端な時期だった。ところが十年ほど前からだろうか、ソメイヨシノの開花がどんどん早くなって、今や桜花爛漫の季節。ソメイヨシノをはじめ、白っぽいミシマザクラ、オオシマザクラ、ヤエザクラやシダレザクラなど約200本が咲き乱れる三嶋大社の桜が、なかなか見事なのだ。
駅前交差点を渡って市民会館を右手に見ながら坂道を下り、富士山の噴火による溶岩流が露頭した白滝公園を抜けて清流の流れる桜川沿いをしばらく行くと、程なく鳥居が見えてくる。途中、川沿いに太宰治や井上靖、若山牧水、正岡子規など、三島ゆかりの文人たちの文学碑が並ぶ「水辺の文学碑」もあり、散策コースとしても心地よい。リタイア組で平日を狙えるアドバンテージもあるせいか、比較的空いていて、満開の桜をゆっくり鑑賞できる。堪能したら、総門を出て右にとり、祓所神社から通りを渡ったところにあるIwase-coffeeで一服。いつもホットコーヒーとフレンチトーストを注文することにしている。幼い頃、母がよく作ってくれたので、メニューにフレンチトーストがあるとつい気を惹かれてしまう。Iwase-coffeeは人気店で満席のことも多いが、こぢんまりしていて落ち着いたお店なので、混雑しない。並んでいても、本を読みながら、静かにのんびり待っていられる。
小腹が満たされたら、大鳥居前から三島本通りを二日町の方に向かって歩く。三島で一番賑やかな通りだ。うなぎの名店桜家まで来たら、その裏から清流がせせらぐ小川に降りる。私たちが毎年立ち寄るのを楽しみにしている癒やしのスポット、源兵衛川である。小川の真ん中を木製の遊歩道と飛び石が繋がって、水上の散策路になっている。楽寿園の小浜池に端を発して約1.5キロ、そのほとんどを、川の中を歩いていける。美しい水の中を三島梅花藻がゆらぎ、サギがむっつりと立っているかと思うと、カモや川鵜が気持ちよさそうにすいすいと泳いでいる。そして、桜。川の左右から、花やつぼみをまとった八分咲きくらいの枝が、水面に向かっていっぱいに伸びている。川の中の、桜のトンネルである。散策路は人一人通るのがやっと。向こうから人がやってきたら、所々に置かれた迂回用の飛び石に待機して、挨拶を交わしながら、道を譲り合う。
この二十年の間に、源兵衛川もずいぶんと整備され、散策しやすくなったが、必要以上に手を加えず、自然を大切にしているところが素敵だ。珍しい野鳥のカワセミがやってきたり、夏には蛍の群舞が見られるという。
小浜池や源兵衛川、白滝公園、桜川など、三島にはいたるところに湧水がある。いずっぱこから西に行ったところに柿田川湧水群というのがある。地中から滾々と湧き出る、碧く透明な水を見ていると、自然の、えも言われぬ美しさと力強さを感じる。
三島は、水の町なのである。
太宰治『老ハイデルベルヒ』
学生時代、友を訪ねて三島に逗留した一夏を回想した、太宰が自らを振り返る短篇小説。三島の清廉な湧水、素朴な町の佇まい、人々の穏やかな気質が、好意的に描かれている。
井上靖『夏草冬濤』
『しろばんば』の続篇で、主人公は三島の伯母の家に下宿して沼津の中学に通うことになる。中学時代を振り返る、井上靖の自伝的3部作の一編。
若山牧水『箱根と富士』
大正9年12月1日、沼津から出て三島大社にお参りし、旧東海道を箱根に向かった折の紀行文。美しい川の流れと、澄んだ空気、富士の絶景に感動している様子がうかがえる。
正岡子規『旅の旅の旅』
正岡子規が大磯から箱根路4日間を旅したときの紀行文。「三島の町に入れば小川に菜を洗う女のさまもややなまめきて見ゆ」、「かなたの障子を開けば大空に突っ立ちあがりし万仞の不尽」などと記し、三島の清流や富士山の雄大さに感動しているさまがわかる。
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