一枚の絵

    一枚の絵と出会った。「この近くにKIKUYA GARDENというCafe & Rentalspaceがオープンします。私たちが手がけました。ぜひ訪ねてみて下さい」。築80年にもなる老朽化した我が家のリフォームをお願いして以来、十数年のお付き合いがある工務店の担当の方に、そんな風に紹介していただいたのがきっかけだった。KIKUYA GARDENのオーナーは、障害者の母親たちによって設立された知的障害者の生活介護施設アトリエコーナスを主催されている白岩高子さん。初対面からとてもフレンドリーに接して下さって、パートナーも私もすぐに大ファンになってしまったのだが、お伺いしたときちょうどホールで行われていたのが、アトリエコーナスで制作活動をしている作家の方々の作品展だった。2022年の1月のことである。

 その絵は、白地に鮮やかな黒で楽譜を模写したドローイング作品。作家は、フランスのポンピドゥーセンターにもその作品が展示されるなど、国際的に高い評価を得ているアトリエコーナスの西岡弘治氏。



 私は、恥ずかしながら芸術鑑賞能力がとてつもなく貧弱で、短所は?と聞かれると、芸術全般に関する素養のないこと、と答えるのを常としていたくらいで、作品を語ることなどできるはずもないのに、この絵には、妙に心が惹かれて仕方がなかった。

 音符というのは、本来は音にして初めて認識できるものだが、音楽を聴いたときの心地よい体験がすり込まれているせいか、目で見ただけでも何やら癒やされた気分になる(たぶん私だけなのだろう)。そんな音符が、この絵では単なる約束事としての音楽記号ではなく、音とリズムを伴って目に飛び込んできた(ような気がした)。きわめて細密に描かれているのだが、五線譜はときに膨らみときにへこんでゆがみながら、どこまでものびやかに流れ、音符たちは流れる五線譜の上で生き生きと歌い踊っていて、作曲家の頭の中にある五線譜をそのまま取り出したようにみえた。こんな絵をお店に飾ることができたらと、ずっと思っていた。

 その念願が叶った。公園の桜の花があでやかに咲き始めた3月24日、なんと作家の西岡氏ご自身がスタッフの方とともに、お願いしていた絵を届けて下さったのだ。

 そうして今、店を開けるたびに、心ゆくまで鑑賞している。絵のタイトルは、「楽譜 Vivace」。Vivace(ヴィヴァーチェ)は楽譜の速度記号で、「活発に」。そうだ。わたしの人生はまだこれからだ。よし、がんばろう。


ヴィスナー文庫

時間がゆったりと流れる 公園のそばの癒し空間