伊豆紀行2 伊豆箱根鉄道駿豆線

 修善寺へは、JR三島駅から伊豆箱根鉄道駿豆線を使う。十余りの駅を経て三島~修善寺間を約四十分弱で結ぶ。地元では「いずっぱこ」の愛称で親しまれている。観光地なのにさほど混むこともなく(年度末にしか行かないせいかもしれないが)、単線で、慌てず急がず、穏やかな田園風景の中を至極生真面目に、ごとごとと走る。鎌倉の江ノ電のようにおしゃれでもなく京都の嵐電ほど粋でもないが(個人的な感想です)、車窓からはどこを走っていても富士山が望め、春ともなれば美しい花々が沿線を彩る。……大場、伊豆仁田、原木、韮山、田京、伊豆長岡、大仁、牧之郷……。ぼんやり眺めているうちに、駅名の風変わりな読み方にも興をそそられる。順に、だいば、いずにった、ばらき(濁る)、にらやま、たきょう、いずながおか、まきのこう(濁らない)。ちなみに駿豆線は”すんずせん”と読む。沿線には、清流沿いのイタリアンdilettante cafe、古民家イタリアンミチスガラ、ケーキカフェirodoriなど、すてきなお店もあって楽しいが、ひどく混雑しているので、せっかくなら雄大な富士山を眺めながら、豊かな自然に恵まれた狩野川水系の名所旧跡をのんびりめぐるのも良い。メジャーなところでは、幕末に建設された韮山反射炉がある。築造当時のまま現存する大砲鋳造用の鉄溶解炉である。「明治日本の産業革命遺産」としてユネスコの世界遺産にも登録されていてなかなか見応えがあるし、併設するレストランで美味しい地ビールも飲める。

 私たち(私とパートナー)は、今年は伊豆長岡駅からバスとロープウェイを乗り継いで伊豆パノラマパークまで足を伸ばした。伊豆の国市郊外にある標高452mの葛城山山頂にある絶景スポットで、富士山や駿河湾の雄大な眺望が楽しめる。確か二度目の筈だが、展望テラス席や足湯など、施設が一新されていて、初めて来たような気分になった。予約制の広々とした枡席[プライベートカゼボ(gazebo:あずまや)というのだそうだ]が空いていたので、靴を脱いでふかふかのマットレスに寝転んで過ごした。空中に浮かんでいるような感じがした。伊豆には「何もしない」ことを目的に行くので、至福の時間だった。

 ただ、こういう人気スポットはやはり混むので、脚に自信のあるあいだは、富士山を見ながら沿線に点在する鎌倉時代ゆかりの名所をのんびりめぐるのも楽しい。私が好きなのは蛭ヶ小島。源頼朝の配流地である。公園になっていて頼朝と政子のブロンズ像があったりするが、基本的には何もない。由緒も定かではないところがある。そこがいい。

 平治の乱で一敗地にまみれた頼朝は罪人として伊豆に流される。そう聞くと、座敷牢のようなところに閉じ込められているイメージがあるが、配流先では貴種・名士として遇され、若い在地武士たちと富士山麓の巻き狩りに興じたり、在地の土豪伊東祐親が大番役で不在の隙にその娘八重と懇ろになって嫡子千鶴丸をもうけたり、存外のびのびと暮らしていたようだ。ところが、戻った祐親は激怒した。平氏政権の元で罪人の見張り役を仰せつかりながら、源氏の棟梁の御曹司を身内から出したとなれば、どんな難儀が降りかかるかわかったものではない。千鶴丸を狩野川に沈め、八重を江間小四郎という在地武士に無理矢理嫁がせると、祐親は「殺してやる!」と刀を振り回して頼朝を追いかけ回した。青くなった頼朝はあわてて北条の館に逃げ込んだ。その頃、北条館には妙齢の娘が二人いて、落ち着きを取り戻した頼朝は、懲りずにさっそく妹(阿波局)に艶書を送る。ある日、姉の政子は妹から奇妙な夢の話を耳にする。曰く……何処とも知れぬ高い山に登り、月と日を袂に入れ、橘の実が三つ成った枝を髪に挿す……。それを吉夢だと見抜いた政子は、人に洩らしたからには禍が来てしまうと妹を諭し、手鏡一枚でその夢を買うと、頼朝の側近安達盛長を言いくるめて艶書の宛名を政子に書き換えさせて、頼朝と契りを結び、予示を現実のものにする……。

 蛭ヶ小島公園のブロンズ像の脇に佇んで、眼前に広がる田園風景をぼんやり眺めながら、そんな言い伝えに思いを馳せることができるのも、明確な由来や存在感のある建造物など、付属物がなにもないおかげである。

 1965年初版と少々古いが、石井進『鎌倉幕府』(「日本の歴史」第7巻、中央公論社)は名著である。一流の研究者の手になる教養書としても定評があり、鎌倉武士の息吹を伝える様々なエピソードが満載で、私のような素人にも面白く読める。もう少し新しいところでは、2001年発行の山本幸司『頼朝の天下草創』(「日本の歴史」第9巻、講談社)がある。これも頗る良い。両方とも文庫になっているので、伊豆の旅のお供にぴったりである。

ヴィスナー文庫

時間がゆったりと流れる 公園のそばの癒し空間