A・A・ミルン『赤い館の秘密』

 ロンドンから少しばかり列車に乗ったのどかな田舎にあるお屋敷、人呼んで“赤い館”。とある昼下がり、赤い館で突如銃声が鳴り響く。親友のビル・ベヴリーが赤い館に滞在していると聞いてたまたま訪ねて来たアントニー・ギリンガムは、銃声のした部屋のドアを激しく叩く男と遭遇。二人で窓を破ると、そこには眉間を撃たれた男の死体が横たわっていた。死んでいたのは、館の当主マーク・アブレットの兄ロバート。オーストラリアに出奔して以来長らく音信不通だった粗暴でやくざなロバートは、迷惑がるマークの動揺をよそに、この日15年ぶりに戻ってきたところだった。しかも、密室状態の部屋からは、そこにいたはずのマークの姿が煙のように消えていた。地元の警察が出動するが、マークの行方は杳として知れず、犯行の動機も密室の謎もわからないまま。そんな謎だらけの事件にがぜん興味を持ったギリンガムは、ベヴリーをワトスン役に、事件解明に乗り出す……。

 本作『赤い館の秘密』(The Red House Mystery)は、児童文学史上不朽の名作『くまのプーさん』を書いたことで知られるイギリスの児童文学者ミルン(Alan Alexander Milne)が、生涯で一冊だけ書いたミステリーである。その執筆の動機をミルンは、ミステリー好きだった父に捧げるためだったと述べており、作品の冒頭に父親への思い入れたっぷりの献辞を寄せている。しかし、エージェントはミステリーの執筆に猛反対した。当時、ミルンはすでにユーモア溢れる戯曲や童話で一定の地歩を築いていたからである。それでも反対を押し切って出版された本書は、16年の間に13版を重ねる大ヒットとなった。すると、「英語国民がいまもっとも読みたがっているのは(あなたの)推理小説だと代理人も出版社も口を揃えて言った」(文庫版解説353p)という。だがミルンは、第2作を求める出版社の再三の懇請を断って、二度とミステリーを書こうとしなかった。

    このように紹介すると、専門外の作家が手慰みに書いた際物のように聞こえるが、本作はミステリーとしてもクオリティの高い、なかなかの傑作である。『僧正殺人事件』など名探偵ファイロ・ヴァンスが活躍する作品で知られるアメリカの作家ヴァン・ダインは、イギリスを代表するミステリーベスト11のうちの一冊として、クロフツの『樽』やフィルポッツの『赤毛のレドメイン家』とともに本作品をあげているし、ハードボイルド探偵小説の草分けレイモンド・チャンドラーは、本作について捜査上の瑕疵を厳しく指摘しながらも、「よどみなく筋が進展し、漫画を見ているときと同じように痛快で、興味深く書いてあった」(文庫版解説356p)と評している。

 本作品の最も大きな特徴は、まず探偵が素人であること、そして探偵と相棒が対等であること。主人公のギリンガムは、余人には想像もできない特殊能力の持ち主などではなく、難事件をいくつも解決してきた捜査のプロでもなく、どこにでもいそうな快活な普通の青年である。従って、相棒役のベヴリーの無能を小馬鹿にするような場面は一切見られず、「鼻持ちならない尊大ぶった探偵」(文庫版解説355p)などでは決してない。一方、相棒のベヴリーも、天才に振り回される道化役ではなく、友達がいがあって人間味豊かな、気の利いた協力者として描かれていて、何よりふたりは、大の仲良しなのだ。その意味で、シャーロック・ホームズとワトスン(コナン・ドイル)、エルキュール・ポワロとヘイスティングズ大尉(アガサ・クリスティー)、ホーソーンとホロヴィッツ(アンソニー・ホロヴィッツ『メインテーマは殺人』)、あるいはお馴染みの杉下右京と亀山薫といった古典的なバディものとは、些か趣を異にするのである。本作の読後感のさわやかさは、どうやらこうした特徴に起因するようだ。

 本作を絶賛した日本の作家に、本格ミステリーの大御所横溝正史がいる。横溝は、1972年刊行の古希記念エッセイ集『探偵小説五十年』のなかで、「私が……一方では大きな戸惑いを感じながらも、一方ではこの奇妙な長篇探偵小説に、いかに強い感銘をうけたかということは、戦後自分で本格探偵小説を書いてみようと思いたったとき、……この小説で探偵的役割をはたす主人公の風貌を、つねに脳裡に描いていたということでも、思いなかばに過ぎるであろう」と述べている。すなわち、横溝の創出した希代の名探偵金田一耕助のモデルこそ、本作の主人公アントニー・ギリンガムなのである。


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