ジョゼ・サラマーゴ 『白の闇』

 信号待ちをしている車の長い列。信号が青になった。先頭の車が動かない。後続車のドライバーたちが騒ぎ出す。窓ガラスを激しく叩き強引にドアを開けると、運転していた男は半狂乱になって叫んでいた。目が見えない……。失明は次々と人々に感染していく。彼らの目の前に広がるのは漆黒の闇ではなく「ぶあついのっぺりした白い」ミルク色の海だ……。

 ”ちょっと気になる本”を紹介する「この一冊」、第1回はポルトガルの作家ジョゼ・サラマーゴの『白の闇』(原題:Ensaio sobre a Cegueira「見えないことの試み」)。レストランで食事中に無意識の淵からサラマーゴの頭に忽然と浮かんだ「もし、われわれが全員失明したらどうなる?」という問いから生まれた作品である。発症者とともに強制隔離される濃厚接触者。感染の恐怖に怯えて近づく患者に銃を乱射する監視軍のなかで、引き金に指をかけたとたんに失明する兵士。感染者は即刻撃ち殺すと嘯く将校が失明して自らの頭を撃ち抜く。際限なく感染が広がる善意の支援ボランティア。政府主催の専門家会議に参加中の教授が突然失明し、討論会のテレビ中継のさなかにコメンテーターが、目が見えない、目が見えないと騒ぎ出す。次々と描き出される極限状況に、今まさに新型コロナによるパンデミック下にある私たちは、湧き上がる恐怖を抑えきれなくなる。なかでも恐ろしいのは、隔離病棟の患者集団のなかに武装した悪党グループが登場して権力を握り、感染者たちを支配するシーンだろう。しかもそのグループのブレーン役は、感染拡大によってある種の"アドバンテージ"を得た、感染者ではない盲人の男なのである。サラマーゴがなぜ彼を悪人として描いたのかは定かではないが、わたしたちが普段、様々な場面で無意識のうちに引いている何かのボーダーラインは、この瞬間完全に霧消してしまう。そうして「目が見えている」ことと「目が見えていない」ことの意味を考えさせられているうちに、やがて現代社会における私たちの有り様に思い至る。「これは世界でもっとも論理的な病気なのです。簡単に言えば、見えない目が見える目に見えなくなる病気を感染させるのです」(文庫版140p)。冒頭に紹介した自問に対し、サラマーゴ自身が「だけど、われわれは、実際みんな盲目じゃないか!」と自答したという(「文庫版訳者あとがき」410p)。

 登場人物に一切固有名詞をつけず、引用符をまったく使わずに会話文を地の文に織り込み、段落がときに数ページにも及ぶ奇妙な文体は、一見難解に思えるが、読み進むうちにその独特のリズムにいつのまにかすっかりのめり込み、最悪の状況の中にかすかな希望を探そうともがいている自分に気付く。サラマーゴは、その希望のよりどころとなる一人の女性を登場させていて、その女性の存在が、すべての人が失明するという奇想天外な物語を、リアルにそして客観的に読ませる役割を果たしている。その女性が言う。「わたしたちは目が見えなくなったんじゃない。わたしたちは目が見えないのよ」「目が見える、目の見えない人びと。でも、見ていない」(文庫版408p)。人間の価値が問われる、ディストピア小説の名作である。

 本書の発表は1995年。その3年後、サラマーゴはポルトガル語圏最初のノーベル文学賞受賞作家となった。

ヴィスナー文庫

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