またまた東京からのお客さまだ。このたびは、会議・放送通訳者新崎隆子氏。2001年のアメリカ同時多発テロ事件を第一報から同時通訳し、湾岸戦争では刻々と変化する緊迫した情勢を生で同時通訳したことで知られ、現在は国際コミュニケーション分野の博士として後進の育成にもあたるヴェテランである。まあ私たち一般人からすると、どちらかといえば特殊な業界のひとで、決して有名人ではないが、業界では比較的名前の知られた人物らしい。私は長年の知り合いだが、あまり通訳に関する蘊蓄を聞いたことがなく、そもそも英語を話している場面をほとんど見たことがない。私と一緒の時は、明るくて話題が豊富で面白い、どこにでもいる気さくなおばさんである。ただ、私の尋ねに応じて氏がたまに話してくれる通訳現場のウラ話は大変面白い。例えば、こんな話。もっとも通訳泣かせの話者は、スピーチでジョークを連発するひとだそうだ。「こうしてカルカッタから戻って来たのですが、わたしの心は重かった」 日本人には受けるかもしれないが、これをそのまま英語に訳しても、おそらく聞いている英語話者の人たちは、面白くも何ともないに違いない。しかもやっかいなことに、スピーカーは話を止めて聴衆がどっと笑うのを待っている。なかには受けなかったことを通訳のせいだと思い込んでご機嫌を損ねるひともいるらしく、かくして、本筋から離れたところで通訳は追い詰められる。そんな窮地を脱した、通訳業界で語り継がれる伝説的名訳があるそうだ。曰く「聴衆の皆さん、いまスピーカーはジョークをおっしゃいましたが、わたしのつたない訳ではそのおもしろさを正確に伝えることができません。今、スピーカーは皆さんが笑うのを待っておられます。皆さん、どうかこの哀れな通訳のために、思い切り笑っていただけませんか」 次の瞬間、大爆笑が起きたそうである。この話が本当にあったことなのかどうかは些か怪しいし、氏の話を私がどこか誇張してしまっているかもしれないので、どうか話半分にしておいてほしい。かわりに、こんなエピソードが満載の氏の著作を一冊紹介しておきたい。残念ながらすでに絶版で、私の店でも現時点では在庫がないが、通訳業界のことが素人にもよくわかる、大変読みやすい本である。
新崎氏は、私が古書店をオープンするに当たって最大限の支援をしてくれた方々の一人で、11月に入ってすぐ、私の誕生日のお祝いを兼ねてお店を見に来てくれ、たくさん本も買ってくれた、私の実の姉である。(ヴィスナー)
0コメント