2024.01.31 13:48年頭にあたって 年が改まって松もとれ、気がつけばもうはや節分、寄る年波か、時間の過ぎるのがどんどんはやくなる。 以前、本欄の「ヴィスナー文庫の一周年」の記事で、義父が肺炎を起こして入院するのに付き添った顛末を紹介した。その義父が旧年十一月、天国に召された。心臓を悪くして倒れ九死に一生を得てから五年、その間二度のコロナ感染や大腿骨骨折を乗り切って、なお矍鑠としていたのだが。一人娘のパートナーの心中、察するに余りある。義父は微笑ましいほど仲良しの夫婦だった義母を十二年前に亡くしていて淋しさの隠せない晩年だったが、義父の亡くなった日は、はからずも義母の誕生日だった。そのことがパートナーにとって、多少なりとも慰めになっていれば、と思う。 しばらく休んでいたお店を再開したのが...
2024.01.15 08:40瀧浪貞子 『平安建都』(集英社版『日本の歴史』⑤) 「いづれの御時にか、女御、更衣あまた候ひ給ひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり」。今話題のドラマ「光る君へ」の主人公紫式部が著した『源氏物語』の冒頭、「光る君誕生」のシーンである。 「女御」「更衣」とは天皇のキサキのことである。天皇のキサキについては、当時の法律(律令の後宮職員令)で皇后・妃・夫人・嬪の四階級が定められ、それぞれ順に一人・二人・三人・四人の定員があった。従って、天皇は、法律上この十人以上のキサキは持てなかった(あくまで定員で、必ず十人を娶らねばならないという訳ではない)。ところが天皇がキサキ以外の女官を見初める「内寵」も現実にはあって、桓武帝や嵯峨帝はことさら内寵が多かった。ややこしくなったので、増え...